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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [10]




 駅を出たところで、山脇は振り返って駅名を確認する。
「こんなところ、来たこともないや」
「俺だってないぜ」
 それがどうした? といわんばかりの視線を受けて、山脇は苦笑する。
「そういう意味じゃなくってさ」
「何が?」
「だから、ただ初めて来たという意味ではなくて、こんな駅で降りる機会があるとは思ってなかった、という意味」
「こんな駅?」
「ここ、富丘(とみおか)だよ」
「富丘って?」
 振り返る美鶴。だが、聡は俯き加減で顎に片手を添え、その言葉を口の中で小さく呟いた。そして、上目遣いで美鶴を見返す。
「富丘っていったら、高級住宅街だぜ。たしかに、雰囲気違うよなぁ」
 ぐるりと辺りを見渡す。
 今朝、霞流邸から来たときも、なんとなく高そうだなぁと思う家が多かった。やはりそういう地域だったのか。
 納得して歩き出す美鶴の後ろから、二人の少年がゆっくりと続く。
 もともと二人とも美鶴より足は長い。歩調を美鶴に合わせると、どうしてもゆっくり歩くことになる。
 すでに正午になろうかという時間帯。辺りにはゆるやかな時間が流れ、車の通りもまばら。ゆったりと取られた歩道も車道も、太陽の光と街路樹の緑を受けて、さわやかに伸びている。
「唐渓の生徒がたくさん住んでそうね」
 嫌味を込めてつぶやくのに、山脇は思わず笑った。
「どうかな? たしかに僕らの高校はお金持ち学校だけど、ここまでの金持ちはそういないと思うよ。昔からのよっぽどのお金持ちならここに住めないこともないと思うけど、最近は仕事で成功した若い独身貴族が多いって聞いた。いわゆる『青年実業家』ってヤツだね」
「詳しいのね」
 チラリと振り返ると、視線がぶつかった。
「部屋借りるときに、いろいろ不動産屋が教えてくれたんだ」
 木漏れ陽を浴びて肩をすくめるその仕草に、長い睫毛と黒い瞳が華を添える。整い過ぎてはいない好感の持てる顔立ちは、ちょっと笑むだけで十分絵になる。
 美鶴は急いで視線をはずし、前へ向き直った。
「部屋を借りた?」
 聡の怪訝そうな声。
「何? お前、もしかして一人暮らしとか?」
 あっ
 美鶴は心内で小さく呟く。
 一人暮らしをしていると、以前聞いたことがある。母親とは死別。父親はアメリカに居ることも聞いた。
「そうだよ」
「へぇ、親は?」
「母さんは死んだ。父さんはアメリカ」
「へぇ、じゃあさ、こっち来る前は親父と一緒に住んでたんだ」
「まぁ……」
「なんで、お前だけ日本に来たんだ?」
 確かにそうだ。
 しかも高校二年なんて中途半端な時期に。
 聡の問いかけに、山脇は少し言葉を捜し、やがて小さくため息をつく。
「生活が合わなかったのさ」
「アメリカ生活がか?」
「そうさ。僕はもともと日本でずっと暮らしてきたんだ。英語だって大して話せない。いきなりアメリカで暮らせって方が無理だったんだよ」
「いきなり …か?」
「いきなり、だよ」
 美鶴は振り返らなかった。だから、聡の表情も山脇の表情もわからない。
 だが、背中に押し迫る空気がなんとなく重苦しい。それが山脇の心情を、表現しているように思えた。
 聡も同じように感じたのだろうか? それ以上聞き込むことはしなかった。
 人には、それぞれ事情というものがあるのだ。
「なぁ美鶴、その袋って、何?」
 話題を変えるつもりだったのだろう。少し声のトーンをあげる。
 美鶴は一瞬思案した。だが、結局は適当な言い逃れもウソも思いつかない。
「下着」
 背を向けたまま軽く紙袋をあげる。背後から何の言葉もないので、思わず肩越しに振り返ってしまった。
 聡と、視線が合った。
「あぁ、そうか」
 なんとなく納得したような声。
 面倒な話題に触れちまったな
 そんな表情で視線を落とす。
「…………美鶴」
「なによ?」
 美鶴 美鶴って、ウルサイなぁ〜 黙って歩けないのかっ!
「お前さぁ 足怪我してんの?」
 数歩先を行く少女の足。左足だけ、微妙にヒョコヒョコ不自然に動く。
「………大したことないわよ」
「大したことないって―――」
 駆け寄る気配を感じ、美鶴はうんざりと振り返って目で制す。
「大したことありませんっ」
 有無を言わせぬ威圧感。誰かから手を差し伸べられたり、助けられたりすることに屈辱を感じる。今の美鶴はそういう人間。
 とことん捻くれやがって――――
 チッと舌を打ち、だが伸ばした右手を引っ込める。傍らでは、山脇が小さなため息。

 辺りを漂う空気が、ますます重くなる。

 通りに並ぶ街路樹は鮮やかな緑で住宅街を彩り、小鳥が楽しそうに飛び回る。こじんまりとした、小さな手作り風のカフェ。気取った女性達が、お上品な昼食を楽しんでいる。
 歩き進む道はこんなにも爽やかなのに、その欠片をも楽しめない。
「静かだな」
 耐え切れなくなって、ぼそりと呟く。
「あぁ。なにせ高級住宅街だからね」
 すかさず答えるところを見ると、山脇もこの空気に耐え切れなくなっていたのだろうか?
「どれも高そうな家だな。この家なんか、ずっと壁ばっか続いてるぜ。どこが玄関だよ?」
「きっと門から玄関までも、相当広いんだよ」
「俺には住めないな。移動だけで疲れる」
「こういうところは、車で移動するんじゃない?」
「マジかよっ! バッカじゃねぇ?」
「同感だね。どんな人が住んでるのかな?」
「きっと、宝石ジャラジャラの嫌味なヤツらだぜ」
「君のウチは違うの?」
 山脇の言葉は、ごくさり気ない。本当に、大した意味もなかったのかもしれない。
「君のウチだって、それなりの家だろう? 唐渓に通うくらいなんだから」
「そうなんだろうよ」
「そう… なんだろう?」
「親父の家のコトなんて、まだあんま、わかんねーよ」
 聡の言葉は少し投げやりだ。
 新しい家族とは、上手くいっていないのだろうか?
「そういうお前んトコだって、金持ちなんだろう?」
「どうだろうね」
「なんだよ、それ?」
 だが山脇は、質問をはぐらかすように視線を遠くへ飛ばす。
「こういうお屋敷に住んでると、やっぱ楽しいんだろうか?」
「どうだろうな。会って聞いてみないことにはわからない」
「もうすぐ会えるわよ」
 美鶴は振り返り足を止め、目を細めて視線を送る。
「きっと、超お金持ちにね」
 そう言って、自分の背後を指差してやる。
 丘を登りきったその上。住宅街が途切れ、一度開けたその向こう。
 分厚い塀に囲まれた敷地。入り口を示す大きな門。塀の向こうには木々が茂り、その茂みの上に、建物の屋根がチラリと見えた。
 聡は、目の前に広がる光景に思わず笑ってしまい、山脇は驚きを通り越して呆れてしまった。
「こりゃまた……」
「結構な金持ちだね」
 呆ける二人の顔を見て、美鶴は思わず歯を見せてしまった。







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